お店の歴史

開港と共に歩み始めた本牧

2009年、開港150周年を迎えるヨコハマ。本牧の街も開港からその歴史は始まりました。開国の際、諸外国からの要望が強かったのは「神奈川」でしたが、この地は江戸に近く、主要街道である東海道の宿場街でもあることから横浜村であった「ヨコハマ」が開港の地として幕府から選ばれました。
開港と共に横浜村は外国人の居留地となった為、住民は立ち退きにあい、今の元町に移り住みました。外国人が次々と流入してくるにつれ、その生活用品などを供給するため、本牧を始めとした近隣地域で様々な産業が生まれました。
例えば、居留地の外国人の食料となる牛を解体する屠牛場は明治7年(1874)頃から千代崎川の河口付近にでき、「大和生花店」の近所にも戦前まで牧場があったといいます。

西洋文化がもたらしたフラワービジネス

居留地の外国人は海水浴やスケートといったレジャーや、ビール・西洋野菜といった新しい食文化など、様々な西洋文化を横浜の地にもたらしました。中でも生活の中で草花を植栽や切花にして愛でる外国人たちの花卉(カキ)愛好熱により、慶応元年には元町増徳院内の植木屋総元締らにより、道路脇で草花を売る商売が始まりました。
また、日本産の園芸植物も諸外国ですごぶる珍重され、明治20年(1887)には、本牧町の服部八郎右衛門ら4人の日本人により県内の「やまゆり」を大量輸出し、成功を収めました。「やまゆり」は今でも神奈川県の特産品の一つであり、県花ともなっています。
その後、本牧の丘陵地帯に園芸農家が増え、温室栽培なども行われるようになり、百合根・菖蒲・藤・牡丹などが輸出用に栽培されるようになります。
大和生花店の初代・岡本宇吉の両親も、鍛冶屋をする一方、輸出用の球根などを育てていたそうです。

関東大震災の翌年に創業した大和生花店

大正12年(1923)9月1日午前11時58分に起こった関東大震災は、本牧の地においても民家の約7%近くが倒壊しました。しかし、横浜中心部がその後の出火でほとんどが焼けてしまったのに対し、本牧では一部しか火事にならず、被害は最小限に抑えられました。
翌年の大正13年5月18日、初代 岡本宇吉が大和町に「大和生花店」を創業しました。当時は、籠に花を入れて、これを背負って行商のような商いもしていたそうです。
岡本宇吉は、花卉業界では草分け的存在の一人で、後に神奈川県生花商組合連合会会長や日本生花商連合会の理事、相談役などを歴任し、昭和47年にはその功績が認められ、勲七等青色桐葉章を授与されています。
また「神奈川県花卉業界沿革史」などの著書も残しました。

昭和の横浜大空襲。店の跡地は他人が占拠

昭和20年5月29日朝9時、横浜は米軍のB29、500機による空襲に遭い、本牧も含め一面焼け野原にされました。本牧は横浜中心部を背に東京湾に突き出た岬であった為、対航空機用の高射砲などが配備されていたので、徹底的な空爆にさらされました。
岡本生花店も空襲に遭い、防空壕に逃れた後、実家のある金沢区富岡に疎開しました。しかし終戦後、店のあった焼け跡に戻ってみると、見知らぬ第三者がバラックを建て土地を占拠していました。
困った宇吉がとび職の知人に相談すると、山梨に疎開していた現在の大和生花店がある土地の地主との間をとりもってくれ、運良く、新たに店を構えなおすことができたそうです。
昭和35年4月15日には「株式会社大和生花店」に組織変更し、宇吉が代表取締に就任しました。

PXにも出店。マッカーサー司令官も客として来店

昭和21年10月、横浜の実に4分の1近い土地が接収され、横浜海兵住宅地区(ベース)には、コロニアル風の白を基調とした淡い色合いの住宅が立ち並び、学校・教会・銀行・映画館・ボウリング場・ガソリンスタンド・PX(物品販売所)などがつくられました。
大和生花店は数少ない日本人の出店を許されましたが、ほんの少し前まで鬼畜米英の教育されていた当時は、ねたみや悪い噂がすぐにされた時代で、出店にはかなりの勇気が必要だったようです。
宇吉の娘であり、現社長である2代目・岡本豊の姉は、直接、当時のマッカーサー司令官に花を売ったこともあったそうで、当時としては珍しく、英語に堪能だったそうです。また、顧客のエッソ石油の社長(米国人)からの紹介で、暗号解読所にも勤めたこともあったそうで、才女の片鱗が伺えます。
昭和51年4月に初代・宇吉が亡くなり、次男である豊が2代目社長に就任しました。

平成に入り、フラワーデザインなどニュービジネスも展開

平成元年には、横浜博覧会(YES’89)が開催され、跡地のみなとみらい地区は順調に開発・発展が進んできました。 ヨコハマ有数の大病院であるけいゆう病院がこの地に移転した際に、大和生花店も病院内に出店しています。
もちろん、長い歴史と実績により、主に神奈川県庁・横浜市役所・関東運輸局等の官公庁、フェリス女学院・横浜インターナショナルスクール・山手カトリック教会ほか、数多くの学校、カルチャーセンターや大手企業、?島屋、諸派生花家元、中華街の名店等々、ヨコハマを代表する方々や団体を主要顧客に、幅広いフラワービジネスを展開してきています。
また、数々のフラワーコンテストで多数受賞入賞しているフラワーデザイナーである永塚慎一が店の一員に加わり、ニュービジネスへの展開も積極的に図っています。
これからも、大和生花店は80数年の確かな歴史と実績を礎に、新しいモノ、より良いモノを採り入れながら、さらにその歩みを続けていきます。

(資料提供:横浜市中央図書館)

 

市電のあった頃の横浜・本牧・三渓園周辺
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